

八百比丘尼(はっぴゃくびくに)の生国はこの地という。
白雉5年(654年)能登國大屋荘縄又村に生まれた娘が16歳のとき、椀の頼母子講で出された禁断の九穴の貝(蚫、別伝では人魚の肉ともいう)を誤って食したため不老不死の身となった。
比丘尼となって諸国を巡歴し、諸行無常の様を語って人倫を説き、熊野権現を勧請したという。かた勧天望を行い、木を植えて地滑りを防いだとも伝えられている。








